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【裏】ロシア政治経済ジャーナル No.231
2024/6/16
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★日本最強の偉人について
全世界の裏RPE読者の皆さま、こんにちは!
北野です。
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今日は、私が「日本最強の偉人だ」と思っている人についてご紹介します。
その人とは、中村天風先生です。
何がすごいのでしょうか?
まず、教えを受けた人がすごい。
たとえば、日露戦争の英雄、東郷平八郎元帥。
年下の天風先生に心酔し、しょっちゅう通っていたそうです。
ジョン・ロックフェラー3世。
陰謀論者が「世界皇帝」と呼んだデヴィッド・ロックフェラーのお兄さん。
そんな大物ですが、天風先生の教えを聞き、ひどく尊敬していました。
さらに、天風先生の教えを実践し、ビジネスで大成功した人たちがいます。
代表的なのは、パナソニック創業者、松下幸之助さん。
京セラ、KDDI創業者、稲盛和夫さん。
日本電産の永守重信さん。
H.I.S.の澤田秀雄さん、などなど。
天風先生の教えは、今も影響を与え続けています。
大谷翔平さんが天風先生の教えを学んでいることは、広く知られています。
▼天風先生のすごい人生
ここからは、天風先生のすごい人生について触れていきます。
天風先生は、1876年生まれです。
1、天風先生は頭山満さんの弟子だった
天風先生は頭山満さんの玄洋社に預けられていました。
頭山満さん、ご存知の方も多いでしょう。
アジアの国々が一体化して欧米列強に対抗するという、
「大アジア主義」を主張していました。
孫文が劣勢な時にかくまっただけでなく、
中国での革命をサポートするために、玄洋社のメンバーを
中国に派遣していました。
玄洋社は1881年に頭山満さんなどが中心となって結成された政治団体です。
彼らは西郷隆盛を敬愛し、自由民権運動を推進していました。
玄洋社の基本精神は、
第一条 皇室を敬戴(けいたい)すべし。
第二条 本国を愛重すべし。
第三条 人民の権利を固守すべし。
天風先生は、頭山満さんを、師と仰いでいました。
2、天風先生は、16歳から諜報員(スパイ)だった!
天風先生は1892年、頭山満の紹介で、
帝国陸軍の軍事探偵(=諜報員、スパイ)になり、中国に渡ります。
当時、まだ16歳(!)でした。
さらに1902年、日露戦争が迫ってきたころ、
再度満州に渡り、スパイ活動を行いました。
鉄橋を爆破したり、砲兵部隊を攻撃したり、
敵の機密文書を盗んだり、スパイとして活躍。
満州の馬賊と戦った際に大活躍し、軍事探偵仲間からは
「人斬り天風」を呼ばれていました。
3、天風先生は欧米の賢者に会いまくった
日露戦争が終わると、天風先生は、肺結核にかかります。
当時、肺結核には治療法がなく、「死病」とされていました。
天風先生は、座して死を待つことができず、アメリカに渡ります。
そこで、さまざまな医者や学者に会いましたが、
治療法もわからず、救われなかったのです。
4、天風先生は、コロンビア大学で医学を学んだ
天風先生は、コロンビア大学で医学を学びました。
なぜでしょうか?
まず、天風先生は、英語がペラペラでした。
子どもの頃、父親が責任者を務める、
紙幣用紙の工場にイギリス人の技術者がいた。
彼と交流しているうちに、英語を覚えてしまったのです。
コロンビア大学に通うようになった経緯は、どうなのでしょうか?
天風先生はアメリカで、華僑大富豪の息子と知り合いました。
その息子は、大学に通う気がなく、天風先生に、
「金をやるから 代わりにコロンビア大学に通ってくれ!」と依頼したのでした。
天風先生は、大金をもらって最新医学を学べるという、
貴重な機会を得ることができたのです。
超ラッキーですね。
5、フランス滞在時はサラ・ベルナールの家に住んでいた!
アメリカで救われなかった天風先生は、欧州に渡りました。
フランスに滞在していた時は、
伝説の女優サラ・ベルナールの家に住んでいました。
サラ・ベルナールは、天風先生の「カント自伝」を勧めたそうです。
6、ヨガの聖者から直接教えを受け悟りを開く
天風先生、アメリカと欧州をまわり、さまざまな医者や学者に会いましたが、
救われませんでした。
それで、「どうせ死ぬなら日本で死のう」と思い、船で帰国の途につきます。
その客船の中で、ヨガの聖者カリアッパ師と知り合ったのです。
カリアッパ師は天風先生を、ヒマラヤ、
カンチェンジュンガの山麓にあるゴーク村に連れて行きました。
ここで天風先生は2年半修行を行います。
その過程で、死病といわれた肺結核が完治しただけでなく、
悟りを開くことに成功したのです。
7、孫文の最高顧問に就任!
1913年、天風先生は、インドから日本にむけて出発します。
道中、上海に立ち寄ったところ、友人(!)の孫文が革命を起こそうとしていました。
(袁世凱打倒を目的とした「第2革命」。)
孫文は、苦しい時代、頭山満さんの世話になっていました。
天風先生とは、「玄洋社つながり」で友達だったのです。
孫文に頼まれ、天風先生は「中華民国最高顧問」(!)になり、
革命運動をサポートします。
しかし、孫文の革命は失敗に終わり、孫文は日本に逃れました。
天風先生も、日本に帰国します。
天風先生、「どんだけ交友関係広いんだ!?」と驚きますね。
8、帰国後、銀行の頭取だった!
天風先生は帰国後、東京実業貯蔵銀行の頭取になりました。
銀行家として大成功していたのですが、
1919年引退し、インドで学んだことを普及する活動を開始します。
このように、驚くべき人生を歩まれた天風先生。
命がけのスパイ活動をした。
死病を患った。
欧米を回って、有名な医者、学者に会いまくった。
インドでヨガの聖者について修行し、悟りを開いた。
死病を克服した。
孫文の革命に参加して戦った。
銀行の頭取で大成功した。
あまりに特殊な体験をベースに語られる哲学は、
今も多くの人に影響を与えつづけています。
そして、天風哲学を深く学んだ人は、おそらく例外なく、
幸せと成功を手に入れているのでしょう。
私も、ソ連崩壊後のもっとも苦しい時期、天風哲学を学び救われました。
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