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【裏】ロシア政治経済ジャーナル No.252_2
2024/8/6
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★広島への原爆投下について
全世界の裏RPE読者の皆様、こんにちは!
北野です。
皆さんご存知のように、今日8月6日は、
アメリカが広島に原爆を投下した日です。
犠牲者の皆様、被爆者の皆様のことを考えると、
心が痛みます。
広島への原爆投下から79年の月日が流れ、
核兵器拡散の動きは止まっていません。
当時はアメリカ一国だった核保有国。
今では、アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国、
インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮の9か国に
増えました。
さらに、イランが「核兵器保有間近」
という情報もあります。
そして、プーチンとロシア政府高官たちは、
しばしば「核兵器使用の可能性」をほのめかし、
ウクライナとウクライナ支援国群を脅しています。
こんな状況で、「核廃絶」は、
まったく非現実的に思えます。
とはいえ、世界ではこれまで、
「ありえない」と思われたことが起こってきました。
たとえば、黒人奴隷がいなくなったこと、
植民地がほとんどなくなったことなど。
私たちは、「理想を目指すリアリスト」です。
現実的な方法で、よりよい世界への歩みを、
一歩でも半歩でも進めていきましょう。
今日は、読者の福岡様からのメールをご紹介させていただきます。
【 メールここから ▼ 】
〈北野さま
「8月6日」のニュースでは広島の平和記念式典が取り上げられますが、平和記念資料館(原爆資料館)は墓地の上に建てられました。
https://hondakenchiku.com/6748.html
平和記念資料館は広島市が主導してできたものではなく、初代館長の長岡省吾氏の命懸けの信念によるものです。
被爆した資料を拾い集めて自宅に持ち帰る長岡氏に対して、奥様は「危険だからやめて」と懇願しましたが、それでも長岡氏は資料の収集を続けました。
https://friday.kodansha.co.jp/article/197429?page=1
1973年に71歳で亡くなりますが、原爆の翌日から被爆地に通い続けた影響で病気になったそうです。
また被爆当時の広島市長は粟屋仙吉氏でしたが、一家は敬虔なクリスチャンでした。
広島には欧米からの観光客も多いですが、キリスト教徒の市長の街に原爆が落とされた事実はあまり知られていないと思います。
粟屋市長の長女が西宮に嫁いでいて、1945年8月6日の数日前に西宮から広島に孫(1歳の女の子)を疎開させていました。
原爆で粟屋市長(51歳)と三男(13歳)、孫(1歳)が即死し、奥様(41歳)も翌月に亡くなられています。
次女は新潟に疎開していて無事でしたが、母親の看病のために広島に駆け付けたことにより、二次被曝で同年11月に19歳で亡くなります。
実は8月5日の深夜から西宮でも激しい空襲があり、6日の朝、長女さんは「娘を広島に疎開させていてよかった…」と思っていたそうです。〉
【 メールここまで ▲ 】
福岡様、貴重なメール、ありがとうございました!
PS
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なにとぞよろしくお願いいたします。
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