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【裏】ロシア政治経済ジャーナル No.254
2024/8/12
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★「日本のヒトラー」と呼ばれた男
全世界の裏RPE読者の皆様、こんにちは!
北野です。
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では、本題。
先日、育鵬社の編集者さんから、興味深い本をいただきました。
◆『評伝 南京戦の指揮官 松井石根』
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松井石根陸軍大将は、日中戦争時、上海、南京、
二つの大都市を攻略したことで知られています。
そのため、「南京大虐殺の首謀者」とされ、
東京裁判の結果、絞首刑になりました。
中国では、「日本のヒトラー」と呼ばれているそうです。
ざっくりいえば、上のようになるのですが、
この本を読むといろいろ興味深い事実がわかります。
・松井石根は、「親中派」だった。
なぜ?
松井石根は、川上操六参謀総長が唱えた、
「日本軍の存在理由は東洋の平和確保にあり」
という思想を支持していました。
川上参謀総長は、日本と中国(当時 清)の協力によって、
ロシアと対峙することを主張していたのです。
1904年、日露戦争が勃発すると、
松井は、歩兵第六連隊中隊長として従軍しました。
1906年、松井は、フランスに派遣されます。
1907年、清に派遣されました。
これは、彼自身が志願したのです。
松井は1909年、孫文と親交するようになります。
彼は、孫文の「大アジア主義」に共鳴し、
1911年~1912年に起こった辛亥革命を
支援しました。
また、松井は、蒋介石とも親密な関係にありました。
1927年、松井は、田中義一首相と
蒋介石の会談を実現させています。
この時田中首相は、蒋介石に
・中国南部での勢力拡大を優先し、北伐を急がないこと
・共産主義の蔓延を警戒すること
・日本は、支援を惜しまないこと
などを伝えました。
そして、蒋介石が中国を統一すれば、
日本はこれを承認する。
そのかわり、国民党政府は、満州における
日本の地位と特殊権益を認める。
この構想が実現すれば、日中戦争は
起こらなかったでしょう。
ところが事態は、
松井石根の思惑と正反対の方向に進んでいきます。
・1928年、済南事件、張作霖爆殺事件。
・1929年、張作霖爆殺事件の影響で、
田中義一首相辞任。
これで、「田中ー蒋介石合意」の実現が困難になりました。
さらに、1931年満州事変、
1932年満州国建国によって、
蒋介石の反日はどんどん強まっていきました。
しかし、松井石根はあきらめません。
1933年に大亜細亜協会を設立。
近衛文麿、広田弘毅、小畑敏四郎、本間雅晴、鈴木貞一、
荒木貞夫、本庄繁などが会員になりました。
この協会の設立目的は、日中関係を改善させること。
なぜ?
日中が連携して欧米と戦うことで、
欧米列強に支配されているアジアを解放しようと。
1935年、松井石根は現役を引退し、
予備役になりました。
ここまで見ると、松井は、一貫して
「親中派」だったことがわかります。
この時点で完全に引退し、悠々自適の生活を送っていれば、
穏やかな老後を過ごすことができたかもしれません。
しかし、そうはなりませんでした。
1937年、盧溝橋事件から日中戦争が勃発。
松井は1937年8月、
上海派遣軍司令官に任命されたのです。
日本軍は、同年11月に上海を陥落させました。
1937年11月、松井は南京攻略に向かいます。
そして、同年12月、南京は陥落しました。
このことが、中国を愛した松井石根の運命を
決定づけることになります。
ところで、日本軍占領時の南京は、
どんな感じだったのでしょうか?
大虐殺はあったのでしょうか?
諸説ありますが、
◆『評伝 南京戦の指揮官 松井石根』
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の中にも、かなり詳しく当時の南京の様子が
記されています。
興味のある方は、是非ご一読ください。
1938年2月、松井は司令官を退任し、帰国しました。
これで軍籍を離れた松井は、「大亜細亜協会」会頭として、
アジア主義を普及する活動を行っていました。
1942年には、中国、タイ、ビルマ、マレーシア、
フィリピンなどを訪れ、「大東亜共栄圏確立の重要性」
を説いたそうです。
1945年8月15日、終戦。
1946年3月、松井は戦争犯罪人として逮捕されました。
松井が司令官を務めていた中支那方面軍が
南京で起こしたとされる不法行為について、その防止、
阻止、処罰を怠ったとして、死刑判決を受けます。
1948年12月23日、死刑が執行されました。
享年70歳。
私は今まで、松井石根陸軍大将の人生を
研究したことがなく、知らないことだらけの本でした。
既述のように、この本には、日本軍占領時の
南京の様子が、かなり詳細に記されています。
さらに、東京裁判の様子も詳細に記されています。
私たちは、日中戦争、日米戦争時に何が起こったのか、
本当のことを知りたいと思っています、
知るための方法はいろいろありますが、
ある人の人生を深堀りするというのは、
いい方法だと思います。
この本は、松井石根陸軍大将の生涯に関する本です。
しかし、それを学ぶことで、
日本と孫文の関係
日本と蒋介石の関係の変化
日本と中国の関係の変化
南京で起こったこと
東京裁判で起こったこと
などなど、いろいろなことを学ぶことができます。
また今年も終戦の日が近づいています。
是非この本で、「日本の戦争は何だったのか?」を
学んでみてください。
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